八女福島の町並み界隈 文学碑巡り

古池花鸚 句碑

境内地に西勝寺修行僧であった「古池花鸚」の句碑があります。

古池花鸚は、橘雪庵貫嵐とその子長閑斎山布留によって基礎作りされた八女の俳壇を、見事に開花させ黄金期を導いた人物です。

自筆の「蛤草帋孝子志々羅遊漁之図」の発見により、明治時代「燈籠人形」の台本を書いていたことが明らかになりました。

夜の味は 空にも知れて 月と梅

【1896(明治29)年 設立】

花鸚80才のお祝いに催した逆襲追福の記念碑として弟子たちが建てました。高さ2m、幅1.5mの巨大な自然石は弟子達の敬意のあらわれといえます。刻まれた句は花鸚の辞世の句です。
文字は安武村(久留米市)永久寺住職俳人調秋外によるものです。

古池 花鸚(こいけ かおう)


〔1818~1902(文政元~明治33)年〕
 福岡県久留米市通町で生まれる。父は久留米藩の武士 小池源蔵。父の死をきっかけに、「空阿(くあ)」を名乗り、西勝寺の僧になりました。後に俳句を学び「花鸚」と名乗りました。さらに江戸で俳句を学び雪中庵山口推陰に師事。
 江戸から八女に帰国した時、著名な雪中庵高弟だと全九州に名が知れ渡った。「晴雪庵」と号して俳句指導にあたる。また寺子屋を開き習字を教え、受けた寺子数は約300人にも上った。
 「古池」はもとは「小池」でしたが、こよなく尊敬し慕った芭蕉の句「古池や蛙とびこむ水の音」にちなんだものといわれています。
 この句碑の裏側が、寺子屋のあった場所にあたります。

 花鸚の墓は西勝寺にあります。